東京に行こう

東京に行こうと思う。前々から母に散々どこか行って来ないかと言われそれをぼかし続けてきたが、行ってみようと思う。

親のすねかじりだがまあいいだろう。なにせあっちがいってこいと頻りに促すのだから。だったらそれに応じて何が悪い。

とはいえ突発的行動なのでどこか行きたいところもあるわけでない。そもそもここを観光したいとかあそこを見たいとかそういう旅行ではないのだ。早い話が冥土の土産、そっちの方がしっくりくる。

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虚無

ああもう東京に行ってそしてそこで人生を終わらせてしまいたい。

昨日裏垢を作った。内容は死にたい死にたいとぶつくさ言うアカウントだ。

ただそれだけ。

虚無感がひどい。というか僕はさっさとツイッターから抜け出したい。いつまでああいったところに世話になるのだろう。しかも毎日毎日。

 

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不安

双極性障害と診断されて結構経つが未だに一型なのか二型なのかわからない。主治医としては発達障害の二次障害と判断したようだ。

まあ僕もそう思うが、正式に発達障害として診断されたわけではないしいつまでたってもグレーゾーン扱いだ。医者にあなたは発達障害ですよと診断されたとしてもそれは単に一医師による診断でしかないから結局のところどうとはいえない。だから双極性でもないのかもしれない。

もしかしたら他の医者にかかったらすっぱり発達障害と診断されるかもしれないし、そうでないと診断される可能性もある。

ここにいつも不安がある。もしかしたら自分は発達障害ではない上に双極性障害でもないのかもしれない。これは単なる甘えというか、別の症状によるものかもしれないということだ。まあ別の症状だったら別の症状に対して何らかの措置を取らないといけないが。

とにかくできることなら一刻も早く自分なりに納得がしたい。

で、今受けている知能検査がちゃんと結果を反映してくれるとありがたい。

そしてできれば二度書くが納得したい。自分がなんなのか。

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死にたいのではなく健康になりたい

そう、死にたいのではなく、健康になりたいのだ。で、どういうわけか健康になれないから死んでしまいたいということになってしまう。

いやいやだって誰だって不健康より健康でいたいだろ?誰だって病気になったら治したいはずだ。少なくとも僕はそう思う。

そりゃ健康じゃなくても幸せになれるとかそんなの個人の考え次第かもしれないが僕には無理だよ無理無理無理。

欲望を書き連ねるということ

朝からコンディションが悪いのでとりあえずブログを書く。

昨日欲望を書き連ねるだけのツイッターのアカウントを作った。恥ずかしいからここには内容を記載しないが。

ブログにはブログで別の欲望を書き連ねるとしよう。

とりあえず今三つの欲望がある。

健康になりたい。金が欲しい。作曲をまたしたい。色々あったが根本的にはこの三つに絞れるだろう。

健康になれば色々な選択肢が増える。それは自分の生き方にも必ず反映されるはずだ。就労支援などに行かずに大学に戻れる。

金があれば色々と心配することがなくなる。少なくともひもじい思いをすることもなくなるだろう。精神的にも楽になれる。ある程度自分で得た金を好きに使うということはどれだけ精神的負荷を減らしてくれることか。

最後にまた作曲ができれば自己の欲求不満を解消することができる。満たされないものも満たされるだろう。

まあこれらを得たら得たでまた困りごとが起きることはあるだろう。

時間の無駄

何をやってもつまらないという気分がしてならない。ただ何かをやらないと将来のことを考えて発狂しそうになるので無理やり体を引きずって何かをやる。

一番幸せな時は寝ている時。しかしそれも最近は2時間に一回起きてしまいなかなか熟睡できない。

で、暇つぶしというか発狂しないためにツイッターやゲームで時間を潰す。まあ悪くないといえば悪くないが、将来を考えると吐き気がする。本当に。

昨日作業所に行ってシールを貼った。30枚貼った。で、集中力がなくて頭が割れるほど痛くなった。死ぬかと思った。

正直なところまだ作業を始めて二日目だが嫌になるというかこんなことを続けてどうなるのだろうかという考えがもたげてくる。徒労ではないだろうか。

まあ適当に絶望してよう。

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なぜ読書するのか

そりゃお前なんてったって好きだからだよ。これに尽きる。が、ここで終わるぐらいならツイッターでやっとけっていう話なのでもう少し話を広げたいと思う。

そもそも僕は中学生の頃フィリップ・K・ディックの短編集を読んで感銘を受けて色々読み始めた。今でもディックは好きだし最高の作家だと思う。まあそれは置いといて。

最初にも書いたが読書は好きだから読む。それが理由。でもそれだけじゃない。

例えばドストエフスキーの白痴を読んで思ったのだが僕はこの作品を通して作者の追体験をしているのだなと思った。

そういう追体験をしたくて読んでるという側面もある。

まあ色々あってだなってと思う。色々あって色々本を読んでるそんな曖昧な感じ。

でももう少しちゃんと書きたい。

ああそうだ。もう少しあった。これだけは好きだって言える本や何度も読み返したい本を探すためにも読んでる。

それと最後に小説にあるフレーズに感銘を受けたいから読んでる。

例えば最近夏目漱石の行人を読んで自分が幸せでないならどうして人を幸せにできるかという一節を読んですごく感銘を受けた。

そんな感じですかね、曖昧で申し訳ない。

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