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日記

23歳の自閉症が淡々と自分語りするブログ。ただそれだけ。Twitter:@ghy303

これまでのあらすじ

今日は本来あった授業が休講で疲れもさほどなかったからさっきからずっと曲作ろうかなと欲求があるが、なぜか心のドロドロを抱えたままやりたくない。ので、こうやってまたブログをかく。

今回は生い立ちを書こうかな。

僕は今22歳、そして大学一年生、そして留年は免れないのは前にも書いた。これは今回は関係ないかもしれないけど覚えといてほしい。

 

正直に言おう。僕は昔から集団というものに向いていない。保育園時代からよくグズって保育園に行きたくないって母を困らせていた。なぜ行きたくなかったのかはわからない。そのくせ行ったら遊んでばかりだったのに。

小学校に入学してもそれは変わらなかった。一年生の頃からずっと女性教師だったのだが、それも多分学校嫌いの原因だったと思う。なんせ、教育機関の年のいったMs.何々は頭が少し極端な人間の方が多いからだ。これは中学生時代にもはや立派なネットの民として生きていた時に知ったことだ。

御多分に洩れず僕のMs.何々はどれもこれもヒステリックで予定調和主義者で何か問題があれば生徒をひっぱたいてでも自分が決めた鋳型に嵌め込もうとするのだから。そんな環境で、聴覚過敏と判定が出た僕が居られるわけがない。だから一層学校嫌いが募った。もう1つはスピーチだ。あの朝の当番なる労働の搾取をさせられるたびに伴うあの苦行、あれさえなければまだましだったのかもしれない。これもまた学校嫌いが募る原因の1つだった。今の小学校はどうなのだろうか。もしなければもう一度生まれ直して、こっそりと二、三人の友人たちと学校生活を送りたいのだが。もしそれが叶えばどれほど良かったことか。

2年生になるともはやMs.が嫌う規格外と僕はなっていた。自分が辛くなるともう衝動的に教室から姿を消してどこかに隠れてしまうのだ。ある時は学校の外(大方そうだったが)自分の家の車庫、それから、それから…忘れた。両親には怒られ、教師どもからは問題児扱い。まあ最もなことだが。

ある時は、そのことが原因で父の仕事に差し支えが出たとかで本気で怒られた。父には感情で怒られた以外記憶がない。道徳や倫理なんてものは僕が住んでる地域には唾を吐く人間がたくさんいるが、僕は母からは昔から他人に迷惑だけをかけるなと教わったから今日まで人様の気分を害することはあったとしても、誰かの人生をめちゃくちゃにするようなことはしたつもりはない。あくまで主観的にだが。

話がだいぶずれてしまった。これぞ発達障害

3年生になるとあれはなんなのか知らないが母とともにNPOなのかわからないがまあそういう問題児を集める、と言ってもそんなに規模は大きくはなかったが、そういう施設に行った。ここでもうまく馴染めなかったのはいうまでもない。なぜなら自閉症だからね。僕は。

四年になると当時生徒から恐れられていたMrs.主任が僕の担任になった。今思えば僕が問題児だったから担任になったのかもしれない。で、まあこれが本当にぎゃあぎゃあと喚く方で、僕もかなりやられた。多分意図的に。もうその頃から四年二組の宮地くんは問題児だって職員室で噂になっていたのだろう。

もはやその頃には僕もなんども逃亡をはかっていたが子供心ながらこれはいけないことだ。みんなに迷惑がかかってしまうということを学んで、必死に我慢して適応しようと思ったのだが、まあ無理は続かない。いつだったかは忘れたが気がついたらもう不登校で、例のNPOだかなんだか知らんがそういう場所に気が向いたら行っていた。なんどもいう、当然そこでも馴染めなかった。